ユダ王国

ユダ王国
מַלְכוּת יְהוּדָה
イスラエル王国 紀元前930年頃 - 紀元前586年 新バビロニア
ユダ王国の位置
紀元前830年代のユダ王国(黄色)
公用語 ヘブライ語
首都 ヘブロン
エルサレム
国王
922年 - 915年 レハブアム
597年 - 587年 ゼデキヤ
変遷
建国 紀元前930年
滅亡 紀元前586年

ユダ王国(ユダおうこく、ヘブライ語:מַלְכוּת יְהוּדָה)は、紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在した王国。もともとあった統一イスラエル王国が北(イスラエル王国)と南に分裂して出来たもの。族長ヤコブの子であったユダの名前に由来している。しばしば分裂した北王国と対比して南王国と呼ばれることもある。首都はエルサレムであった。

概要

サウルの後を継いだダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂した。南のユダ王国はユダ族ベニヤミン族から構成されており、北のイスラエル王国はそれ以外の十支族からなっていた。もともとダビデの一族の支配から北のイスラエル王国が独立した形となったため、当初ユダ王国では北イスラエル王国を再び制圧して全土を統一しようという意気込みが強かった。

そのため、分裂後の60年間は南北王国の間でたびたび戦いが繰り返された。その後は和解した両国の関係が安定し、ダマスカスなどの共通の敵に対して共同戦線を張ることが多かった。紀元前8世紀の中ごろには両国とも力が充実し、ソロモンの最盛期にも匹敵するほどの国土を獲得した。

しかし、アッシリア帝国が勃興すると紀元前722年に北のイスラエル王国はシャルマネセル5世に占領され滅ぼされた。その後ユダ王国はアッシリアの属国と化しその形で存続していたが、紀元前609年にメギドの戦いの敗北によってエジプトの支配下に入った。紀元前605年にカルケミシュの戦いエジプト第26王朝ネコ2世新バビロニアネブカドネザル2世に敗れた後、紀元前597年にそのネブカドネザル2世の前にユダ王国も屈した(en:Siege of Jerusalem (597 BC))。その後しばらくは独立国としての存在が許されていたが、最終的にはエジプトと結んでバビロニアと対抗しようという企てが露見したため(en:Siege of Jerusalem (587 BC))、紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されることになった。これをバビロン捕囚という。

ソロモン王の死後、イスラエル分裂後の王の系譜と業績

歴代統治者一覧

紀元前830年代の南レバント
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在位には諸説あるが、ここでは最も広く受け入れられているウィリアム・オルブライトの説による。年号はすべて紀元前である。

ユダ王国滅亡後のイスラエルの歴史

ユダ王国が滅ぶと、わずかな例外的時期を除いて20世紀に至るまでユダヤ民族が独立国を持つことはなかった。以下に歴代の統治者を示す。

関連項目