上北郡
人口89,348人、面積1,280.32km²、人口密度69.8人/km²。(2023年11月1日、推計人口)
以下の6町1村を含む。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記6町1村に三沢市・十和田市を加えた区域にあたる。
歴史
藩政時代は盛岡藩の南部氏の支配に属し、七戸・野辺地に代官所が置かれていた。
郡発足までの沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
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藩領 | 陸奥盛岡藩[1] | 14村 | 野辺地村、有戸村、馬門村、法量村、奥瀬村、大不動村、滝沢村、米田村、藤島村、伝法寺村、横浜村、天間館村、野崎村、中岫村 |
陸奥七戸藩 | 34村 | 甲地村、七戸村、新館村、大浦村、上野村、立崎村、大沢田村、洞内村、八斗沢村、深持村、馬洗場村、切田村、相坂村、折茂村、三本木村、上吉田村、下吉田村、柳町村、小平村、鶴喰村、犬落瀬村、下田村、百石村、天ヶ森村、平沼村、鷹架村、尾駮村、出戸村、泊村、倉内村、花松村、附田村、榎林村、二ツ森村 | |
盛岡藩[1]・七戸藩 | 1村 | 沢田村 |
- 明治元年
- 明治2年
- 明治4年
郡発足以降の沿革
- 明治11年(1878年)10月30日 - 郡区町村編制法の青森県での施行により、北郡のうち七戸村ほか50村(旧・第7大区)の区域に行政区画としての上北郡が発足。郡役所が七戸村に設置。
- 明治13年(1880年) - 百石村の一部[2]が分立してが三沢村となる[3]。(51村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により以下の各村が発足。(16村)
- 野辺地村 ← 野辺地村、馬門村、有戸村(現・野辺地町)
- 三本木村 ← 三本木村、赤沼村、切田村(現・十和田市)
- 天間林村 ← 天間館村、榎林村、附田村、二ツ森村、野崎村、中岫村、花松村(現・七戸町)
- 浦野舘村 ← 新館村、上野村(現・東北町)、大浦村(現・東北町、三沢市)
- 法奥沢村 ← 沢田村、奥瀬村、法量村(現・十和田市)
- 四和村 ← 米田村、滝沢村、大不動村、伝法寺村(現・十和田市)
- 百石村(単独村制。現・おいらせ町)
- 三沢村 ← 三沢村、天ヶ森村(現・三沢市)
- 七戸村(単独村制。現・七戸町)
- 横浜村(単独村制。現・横浜町)
- 甲地村(単独村制。現・東北町)
- 大深内村 ← 洞内村、深持村、大沢田村、立崎村、八斗沢村、馬洗場村(現・十和田市)
- 藤坂村 ← 相坂村、藤島村(現・十和田市)
- 六戸村 ← 上吉田村、下吉田村、鶴喰村、柳町村、小平村、折茂村(現・六戸町)、犬落瀬村(現・六戸町、三沢市)
- 下田村(単独村制。現・おいらせ町、三沢市)
- 六ヶ所村 ← 平沼村、倉内村、鷹架村、尾駮村、出戸村、泊村(現存)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治30年(1897年)9月27日 - 野辺地村が町制施行して野辺地町となる。(1町15村)
- 明治35年(1902年)9月1日 - 七戸村が町制施行して七戸町となる。(2町14村)
- 明治43年(1910年)9月1日 - 三本木村が町制施行して三本木町となる。(3町13村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和4年(1929年)4月20日 - 百石村が町制施行して百石町となる。(4町12村)
- 昭和6年(1931年)9月7日 - 法奥沢村が十和田村に改称。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「上北地方事務所」が七戸町に設置され、本郡を管轄。
- 昭和23年(1948年)2月11日 - 三沢村および六戸村の一部(犬落瀬の一部)・下田村の一部・浦野館村の一部(大浦の一部)が合併して大三沢町が発足。(5町11村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和32年(1957年)10月1日 - 六戸村が町制施行して六戸町となる。(6町6村)
- 昭和33年(1958年)
- 昭和38年(1963年)11月1日 - 甲地村が改称のち町制施行して東北町となる。(8町3村)
- 昭和44年(1969年)8月1日 - 下田村が町制施行して下田町となる。(9町2村)
- 昭和50年(1975年)4月1日 - 十和田町が改称して十和田湖町となる[4]。
- 平成17年(2005年)
- 平成18年(2006年)3月1日 - 下田町・百石町が合併しておいらせ町が発足。(6町1村)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年 4月1日 町村制施行 |
明治22年 - 昭和20年 | 昭和21年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
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横浜村 | 横浜村 | 横浜村 | 横浜村 | 昭和33年4月1日 町制 横浜町 |
横浜町 | 横浜町 | |
野辺地村 | 野辺地村 | 明治30年9月27日 町制 野辺地町 |
野辺地町 | 野辺地町 | 野辺地町 | 野辺地町 | |
馬門村 | |||||||
有戸村 | |||||||
七戸村 | 七戸村 | 明治35年9月1日 町制 七戸町 |
七戸町 | 七戸町 | 平成17年3月31日 七戸町 |
七戸町 | |
天間館村 | 天間林村 | 天間林村 | 天間林村 | 天間林村 | |||
榎林村 | |||||||
附田村 | |||||||
二ツ森村 | |||||||
野崎村 | |||||||
中岫村 | |||||||
花松村 | |||||||
沢田村 | 法奥沢村 | 昭和6年9月7日 改称 十和田村 |
昭和30年4月1日 町制 十和田町 |
昭和50年4月1日 改称 十和田湖町 |
平成17年1月1日 十和田市 |
十和田市 | |
法量村 | |||||||
奥瀬村 | 奥瀬村 | ||||||
明治2年 分立 赤沼村 |
三本木村 | 明治43年9月1日 町制 三本木町 |
昭和30年2月1日 三本木市 |
昭和31年10月10日 改称 十和田市 |
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三本木村 | |||||||
切田村 | |||||||
洞内村 | 大深内村 | 大深内村 | |||||
深持村 | |||||||
大沢田村 | |||||||
立崎村 | |||||||
八斗沢村 | |||||||
馬洗場村 | |||||||
相坂村 | 藤坂村 | 藤坂村 | |||||
藤島村 | |||||||
米田村 | 四和村 | 四和村 | 昭和30年3月1日 三本木市に編入 |
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滝沢村 | |||||||
大不動村 | |||||||
伝法寺村 | |||||||
平沼村 | 六ヶ所村 | 六ヶ所村 | 六ヶ所村 | 六ヶ所村 | 六ヶ所村 | 六ヶ所村 | |
倉内村 | |||||||
鷹架村 | |||||||
尾駮村 | |||||||
出戸村 | |||||||
泊村 | |||||||
甲地村 | 甲地村 | 甲地村 | 甲地村 | 昭和38年11月1日 改称町制 東北町 |
平成17年3月31日 東北町 |
東北町 | |
新館村 | 浦野舘村 | 浦野舘村 | 浦野舘村 | 昭和33年9月1日 改称町制 上北町 |
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上野村 | |||||||
大浦村 | 一部 | ||||||
一部 | 昭和23年2月1日 大三沢町 六戸村犬落瀬の一部、 浦野館村大浦の一部、 下田村の一部と合併 |
昭和33年9月1日 改称市制 三沢市 |
三沢市 | 三沢市 | |||
天ヶ森村 | 三沢村 | 三沢村 | |||||
百石村 | 明治13年 分立 三沢村[2] |
||||||
百石村[3] | 百石村 | 昭和4年4月20日 町制 百石町 |
百石町 | 百石町 | 平成18年3月1日 おいらせ町 |
おいらせ町 | |
下田村 | 一部 | 下田村 | 下田村 | 下田村 | 昭和44年8月1日 町制 下田町 |
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一部 | 昭和23年2月1日 大三沢町 |
昭和33年9月1日 改称市制 三沢市 |
三沢市 | 三沢市 | |||
犬落瀬村 | 一部 | 六戸村 | 六戸村 | ||||
一部 | 六戸村 | 昭和32年10月1日 町制 六戸町 |
六戸町 | 六戸町 | |||
上吉田村 | |||||||
下吉田村 | |||||||
鶴喰村 | |||||||
柳町村 | |||||||
小平村 | |||||||
折茂村 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治11年(1878年)10月30日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
関連書籍
- 川合勇太郎『上北郡伝説集:上北郡郷土資料』(私家版、1931年)
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 2 青森県、角川書店、1985年12月1日。 ISBN 4040010205。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 北郡 |
行政区の変遷 1878年 - |
次代 (現存) |