北京市
中華人民共和国 北京市 | |
---|---|
上から時計回り: 北京商務中心区、八達嶺長城、天壇、中国国家大劇院、北京国家体育場、天安門 | |
略称:平・京 | |
別称:燕京、北平 | |
旧称:宛平、北平、燕京、中都、大都 | |
中華人民共和国中の北京市の位置 | |
中心座標 北緯39度54分20秒 東経116度23分29秒 / 北緯39.90556度 東経116.39139度 | |
簡体字 | 北京 |
繁体字 | 北京 |
拼音 | Běijīng |
カタカナ転写 | ペイチン |
国家 | 中華人民共和国 |
行政級別 | 直轄市 |
成立 | 紀元前473年 |
市党委書記 | 尹力(20期中国共産党中央政治局委員、前中国共産党福建省委員会書紀) |
市長 | 殷勇(前北京市副市長) |
面積 | |
総面積 | 16,410.54[1] km² |
海抜 | 43.5 m |
人口 | |
総人口(2022) | 2184.3 万人 |
経済 | |
GDP(2021) | 42620.7億元 |
一人あたりGDP | 197313元 |
電話番号 | 010 |
郵便番号 | 100000 - 102600 |
ナンバープレート | 京A, C, E, F, G, H, J, K, L, M, P, N, Q, Y(小型自動車)(藍地に白字) 京A,G(大型自動車)(黄地に黒字) 京E(中型バス)(黄地に黒字) 京B(タクシー)(藍地に白字) 京A, D(警察)(白地に黒字) 京O(当局により廃止)(藍地に白字) |
行政区画代碼 | 110000 |
市樹 | 側柏、エンジュ |
市花 | 月季、菊 |
2015年のHDIは 0.882。 | |
公式ウェブサイト: http://www.beijing.gov.cn/ |
北京市 | |||||||||||||||||||||||||||
北京のスカイライン
| |||||||||||||||||||||||||||
中国語 | 北京 | ||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
郵政式 | Peking | ||||||||||||||||||||||||||
|
北京市(ペキンし、中国語: 北京市、拼音: 、英語: Municipality of Beijing)は、中華人民共和国の首都。
行政区画上は直轄市であり、中国の華北の中央に位置する。常住人口は2184.3万(2022年末[2])。中国の政治の中枢であり、上海と並ぶ経済・学術・文化の中心地である。アジア屈指の世界都市。古くは燕京、中都、大都、北平などとも呼ばれた。
北京の読み方
日本では一般的に「ペキン」と読む。この読みは中国南部の方言の唐音に由来する歴史的な読み方である[3]。1906年制定の郵政式アルファベット表記でもPekingと表記されている。
中国の共通語である普通話では、 Běijīng と発音し、カタカナに転記すると「ペイチン」。英語では Beijing と表記し、 [beɪˈdʒɪŋ] ( 音声ファイル)「ベイジン」と発音している[4]。国連や北京市の公式サイトにおいても、Beijing を英語の名称として採用している[5][6][7]。ただ以前は英語圏でもPeking「ピーキン」という表記を多用していたこともあり、北京大学を英語で Peking University と表記するなど[8]、その名残を残している。
満洲語ではベギン(満洲文字:ᠪᡝᡤᡳᠩ、メレンドルフ転写: beging)またはゲムン・ヘチェン(ᡤᡝᠮᡠᠨ
ᡥᡝᠴᡝᠨ、転写:gemun hecen、「京城」の意)、ギン・ヘチェン(ᡤᡳᠩ
ᡥᡝᠴᡝᠨ、転写:ging hecen)[9]と呼ばれていた。
江戸時代の書物(江原某『長崎虫眼鏡』など)では、「北京」のふりがなは「ほつきん(発音はホッキン)」となっている。幸田露伴の小説「運命」では読みを漢音で「ほくけい」としている。諸橋轍次「大漢和辞典」では「ほくけい」「ぺきん」の二つの読みを併記している。「ほっけい」とも言う。
歴史
中国地名の変遷 | |
建置 | 古代 |
使用状況 | 北京市 |
周 | 薊(薊) |
---|---|
春秋 | 薊(薊→燕) |
戦国 | 薊(燕) |
秦 |
薊県 広陽郡 |
前漢 |
燕国 広陽郡 燕国 広陽郡 広陽国 |
後漢 |
上谷郡 広陽郡 |
三国 | 燕国 |
西晋 | 燕国 |
東晋十六国 | 燕郡 |
南北朝 | 燕郡 |
隋 |
幽州 涿郡 |
唐 |
幽州 幽都県 幽州 |
五代 | 幽州 |
北宋/遼 |
薊北県 幽都府 南京 燕京 析津府 析津県 宛平県 |
南宋/金 |
中都 大興府 大興県 |
元 |
大都 大都路 |
明 |
北平府 順天府 北京 |
清 |
順天府 北京 |
中華民国 |
京兆地方 北平特別市 北平市 |
現代 | 北京市 |
紀元前11世紀頃から紀元前222年、春秋戦国時代中期に現在の北京には「薊(けい)」という諸侯国と称された。燕が滅ぼし薊へ遷都した。周の国都洛陽からは遠く離れ、常に北方の匈奴などの遊牧民族の侵入による被害を受ける辺境であった。燕は劇辛や楽毅などの名将によって斉を攻め、70余城を取った。怒れる秦は王翦を率い[10][11]、首都の薊は紀元前226年に秦によって陥落した[12][13][14][15][16][17]。秦漢には北平(ほくへい、ペイピン Běipíng)と称されるが、満洲開発が進み、高句麗など周辺国の勢力が強大となると、戦略上、また交易上の重要な拠点として重視されるようになった。4世紀には高句麗が幽州地域を征服し、北京一帯を支配した[18]。北京に隣接する河北涿郡(たくぐん)は三国志の英雄劉備の故郷で知られるとともに隋の煬帝が築いた大運河の北の起点とされている。
唐末五代の騒乱期、内モンゴルから南下してきた遼は、後晋に対し軍事支援を行った代償として北京地方を含む燕雲十六州を割譲された。遼はこの都市を副都の一つ南京(別名:燕京)と定めた。
その後金が遼を滅ぼして支配権を獲得したが、1153年に第4代皇帝海陵王が会寧から遷都を行って中都とした。皇統の和議(宋側では紹興の和議)によって、金の河北支配が確定すると、それまでの会寧では北に偏りすぎていることが大きな要因とみられ、また合わせて中国式の官制改革なども行われた。海陵王は政変で滅ぼされるが、モンゴル帝国の侵攻まで都城が存在した[19]。
モンゴル帝国のハーン位を巡る争いに勝利して、元王朝を事実上創建したフビライ・ハンは、1264年に燕京を中都とし、1270年にはこれを大都と改めて、カラコルムに代わってモンゴル帝国の中心とした。フビライは従来の中都の北東に新たな都城(カンバリク)を築くことにし、1266年から始まった工事は1274年に宮殿を、1276年には城壁を完成させた。更に1293年には通恵河を開通させて大都と大運河をつなげた[20]。ただし、元王朝はモンゴル帝国の要素を引き継いだ国家であり、元の皇帝(ハーン)は夏の間はモンゴル高原に近い開平(上都)に、冬の間は大都に居住する「両都巡行制」を採用した[21]。
朱元璋(洪武帝)が元朝を北方に駆逐し明が成立すると、名称は北平に戻され、都城は南京に定められた[注釈 1]。しかし、燕王に封じられ北平を拠点とした朱棣(後の永楽帝)は、1402年に建文帝に対し軍事攻撃を行い政権を奪取(靖難の変)。皇帝に即位した永楽帝は1403年に地名を北京に改めて南京の応天府に対して順天府と命名、遷都を前提とした大規模な工事を開始した。1406年から準備が始まった宮殿の工事の準備は物資搬送のための大運河の整備と平行して行われ、実際の宮殿の工事が行われたのは1417年に入ってからであった。しかし、朝廷内部には洪武帝の祖法を覆すこの方針に反対論が根強く、永楽帝も3度にわたる北京巡行を経て、1421年の朝賀に合わせて遷都を実行した。しかし、反対論が納まること無く、永楽帝の後を継いだ洪熙帝は1425年に南京への還都を宣言して、北京はそれまでの「行在」とされた。しかし、洪熙帝が間もなく崩御したことで還都計画は中断した。ただし、還都の中止が正式に発表されたのは正統帝の時代に入った1441年のことである[23]。遷都の理由としては燕王としての永楽帝の根拠地であると共に、①靖難の変で顕在化した政治的対立や経済的格差の解消を図る「南北統一」の実現のために重視されるべき華北地域の中心であったこと、②元(モンゴル帝国)の登場によって広がった新たな中華世界の主として迫られた「華夷一統」を実現させるために農耕地域と遊牧・狩猟地域の境界線上にある北京が新しい都城の所在地として相応しかったとする政治的・経済的目的が主であったと考えられている。なお、北京遷都の一因としてモンゴルに対する備えとする軍事的目的も指摘されているが、永楽帝が即位した直後の北方情勢は深刻では無く、むしろ遷都の正当化のための後付けの理由だったものが、状況の変化に伴って皇帝親征が必要になる深刻なものになった可能性も指摘されている[24]。明王朝による「華夷一統」の実現の試みは冊封体制の再興という形で実現され、北京は多くの朝貢使節が来訪するようになった[25]。
1644年、李自成の反乱軍が明を滅ぼすと、その間隙を突いて満洲から清が南下をして北京を占領した。北京に入城した清の摂政王ドルゴンは、北京遷都を計画し、盛京にいた順治帝を迎え入れて、同年10月1日に北京遷都を宣言した。ドルゴンは清は異民族王朝であるが、逆賊である李自成を伐って後継王朝になったという中国支配の大義名分を掲げており、それを引き継ぐ意味でも北京に都を引き継ぐ必要があった。ただし、満洲族の本拠地である盛京にも依然として機能の一部を残している[26]。
1911年の辛亥革命後は中華民国北洋政府は北京を首都と定めた。清室優待条件が締結された。1928年に蔣介石を中心とする国民政府は、南京を首都に定め、6月には「政府直轄地域」を意味する直隷省を河北省へ、北の首都を意味する北京を北平へと、改称した。1937年から1945年まで続いた日本軍占領期は北京の名称が用いられた(公式には1940年に改名)。1945年の日本の敗戦によって、再び北平に改称された[27][28][29]。
1949年10月1日の中華人民共和国成立により新中国の首都とされた北平は再び北京と改称され現在に至っている。しかし、中華民国(台湾)は、中華人民共和国の存在を承認せず、南京を公式な首都として大陸地区への統治権を主張し、現在でも公式名称として「北平」の名称を用いている。しかしながら、現在は「北京当局」という名称で「北京」を用いる例がある[30]。
地理
北京は華北平原の東北端に位置する。東部は山地、西部は太行山脈支脈の西山、北部は燕山山脈一部の軍都山に接しており、南部以外は山に囲まれていて全市域の約62%を山地が占めている。北京の最高峰は万里の長城が延々と続いている北部山脈にある東霊山である。北京市街地はこうした山岳地域に囲まれた盆地の中にあり、その平均海抜は20〜60mである。海河流域に属し、永定河や潮白河などが流れるが、これらの河川には普段水が流れておらず水不足が深刻になっている。面積は日本の四国に相当する。またモンゴル南部で発生した黄砂に度々見舞われる。
気候
ケッペンの気候区分では、かつては亜寒帯冬季少雨気候(Dwa)に属していたが、最新の平年値ではステップ気候(BSk)に移行した[31]。気温の年較差が大きい。また、春と秋はとても短い。春は乾燥していて強い砂埃の風が立つ。夏は高温多湿となり、霧や靄が降りる日が比較的多く雨は少ない。秋には雨がやや増えるが夕立など特定の時刻に集中的に降ることが多い。冬は低温乾燥で厳しい寒波が襲うが、乾燥のため雪はそれほどは降らない。1981~2010年平年値では1月の平均気温が-3.1度、7月の平均気温が26.7℃、年平均気温が12.9℃、年降水量は532.0mmである。最高気温極値は41.9℃(1999年7月24日)で最低気温極値は-27.4℃(1966年2月22日)。
北京市(1981年 - 2010年平均、極値1951年 - 現在)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 14.3 (57.7) |
25.6 (78.1) |
29.5 (85.1) |
33.5 (92.3) |
41.1 (106) |
40.6 (105.1) |
41.9 (107.4) |
38.3 (100.9) |
35.9 (96.6) |
31.0 (87.8) |
23.3 (73.9) |
19.5 (67.1) |
41.9 (107.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 2.0 (35.6) |
5.7 (42.3) |
12.3 (54.1) |
20.7 (69.3) |
26.7 (80.1) |
30.5 (86.9) |
31.4 (88.5) |
30.3 (86.5) |
26.2 (79.2) |
19.4 (66.9) |
10.2 (50.4) |
3.8 (38.8) |
18.3 (64.9) |
日平均気温 °C (°F) | −3.1 (26.4) |
0.2 (32.4) |
6.7 (44.1) |
14.8 (58.6) |
20.8 (69.4) |
24.9 (76.8) |
26.7 (80.1) |
25.5 (77.9) |
20.7 (69.3) |
13.7 (56.7) |
4.9 (40.8) |
−1.1 (30) |
12.9 (55.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −7.5 (18.5) |
−4.5 (23.9) |
1.3 (34.3) |
8.8 (47.8) |
14.8 (58.6) |
19.6 (67.3) |
22.5 (72.5) |
21.5 (70.7) |
15.8 (60.4) |
8.6 (47.5) |
0.3 (32.5) |
−5.2 (22.6) |
8.0 (46.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −22.8 (−9) |
−27.4 (−17.3) |
−15.0 (5) |
−3.2 (26.2) |
2.5 (36.5) |
9.8 (49.6) |
15.3 (59.5) |
11.4 (52.5) |
3.7 (38.7) |
−3.5 (25.7) |
−12.3 (9.9) |
−18.3 (−0.9) |
−27.4 (−17.3) |
降水量 mm (inch) | 2.7 (0.106) |
4.4 (0.173) |
9.9 (0.39) |
24.7 (0.972) |
37.3 (1.469) |
71.9 (2.831) |
160.1 (6.303) |
138.2 (5.441) |
48.5 (1.909) |
22.8 (0.898) |
9.5 (0.374) |
2.0 (0.079) |
532.0 (20.945) |
平均降水日数 | 1.8 | 2.2 | 3.3 | 4.9 | 6.4 | 9.7 | 12.9 | 11.4 | 7.5 | 4.9 | 2.8 | 1.8 | 69.6 |
% 湿度 | 43 | 42 | 42 | 44 | 50 | 59 | 71 | 73 | 66 | 59 | 53 | 47 | 54 |
平均月間日照時間 | 189.0 | 192.1 | 228.2 | 244.5 | 267.9 | 238.2 | 202.7 | 209.3 | 215.3 | 211.5 | 182.0 | 175.2 | 2,555.9 |
出典:中国气象局 国家气象信息中心 2020-12-31 |
市政
- 中国共産党北京市委員会書記:尹力(2022 -)
- 北京人民政府市長:殷勇(2022年10月28日 -)
- 北京市人民代表大会常務委員会主任:李偉
- 中国人民政治協商会議北京市委員会主席:吉林
行政区域
下部には16市轄区を管轄する。
北京市の地図 |
---|
- 旧城区
- 新城区
- その他
-
- 順義区 市東北部に位置し、1998年県から区に昇格した。
- 昌平区 市北西部に位置し、明の十三陵がある。
- 門頭溝区 市西部の山間部に位置し、1958年区成立。
- 通州区 市東部に位置する。1958年市に編入、1997年区に昇格。京杭大運河が流れる。
- 房山区 市南西部に位置する。周口店がある。1999年区に昇格。
- 大興区 市南部に位置する。1958年市に編入、2001年区に昇格。2019年9月25日開港の北京大興国際空港を含む。
- 懐柔区 市北部の山間部に位置する。1368年建県、2001年区に昇格。
- 平谷区 市東北部に位置する。1958年北京市に編入、2002年区に昇格。
- 延慶区 市北西部に位置する。2015年区に昇格。
- 密雲区 市東北部に位置する。2015年区に昇格。北京の水源である密雲ダムがある。
年表
北京市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国北平市が北京市に改称。一区から二十区までの市轄区が成立。(20区)
- 1950年6月 - 市内行政区域の再編により、一区から十六区までの区が成立。(16区)
- 1950年10月9日 - 河北省通県専区昌平県の一部が十三区に編入。(16区)
- 1950年4月7日 - 十三区の一部が十五区に編入。(16区)
- 1950年4月27日 - 十三区の一部が二区に編入。(16区)
- 1950年4月28日 - 十三区の一部が四区に編入。(16区)
- 1950年7月 - 十三区の一部が四区に編入。(16区)
- 1951年11月20日 - 河北省通県専区昌平県の一部が十三区に編入。(16区)
- 1952年9月1日 (13区)
- 1952年7月23日 - 河北省通県専区宛平県を編入。(13区1県)
- 1952年9月 (13区)
- 1955年4月 - 南苑区の一部が崇文区に編入。(13区)
- 1955年6月 - 東郊区の一部が東四区・東単区・崇文区に分割編入。(13区)
- 1955年12月21日 (13区)
- 東単区の一部(大庭房)が東四区に編入。
- 東四区の一部(八条下坡)が東単区に編入。
- 1956年3月9日 - 河北省通県専区昌平県を編入。(14区)
- 1956年3月17日 (14区)
- 東郊区の一部が海淀区に編入。
- 海淀区の一部が西単区・西四区・石景山区に分割編入。
- 京西鉱区の一部が石景山区・豊台区に分割編入。
- 南苑区の一部が豊台区に編入。
- 豊台区の一部が宣武区に編入。
- 1957年9月30日 - 河北省通県専区大興県の一部が南苑区に編入。(14区)
- 1957年12月4日 - 河北省通県専区順義県の一部が東郊区に編入。(14区)
- 1958年2月25日 - 昌平区の一部が海淀区に編入。(14区)
- 1958年3月7日 - 河北省通県専区通州市・通県・順義県・大興県・良郷県・房山県を編入。(14区1市5県)
- 1958年4月8日 - 前門区が崇文区・宣武区に分割編入。(13区1市5県)
- 1958年5月3日 (12区1市5県)
- 石景山区が豊台区・海淀区・門頭溝区に分割編入。
- 東郊区が朝陽区に改称。
- 京西鉱区が門頭溝区に改称。
- 1958年5月16日 (10区1市5県)
- 1958年5月29日 (13区)
- 通州市および通県の一部が合併し、通州区が発足。
- 房山県および良郷県の一部が合併し、周口店区が発足。
- 大興県および南苑区の一部が合併し、大興区が発足。
- 順義県が区制施行し、順義区となる。
- 通県の残部が朝陽区・大興区に分割編入。
- 良郷県の残部が豊台区に編入。
- 南苑区の残部が豊台区・朝陽区に分割編入。
- 門頭溝区の一部が周口店区に編入。
- 1958年8月 - 海淀区の一部が昌平区・豊台区に分割編入。(13区)
- 1958年9月 - 朝陽区の一部が通州区に編入。(13区)
- 1958年10月20日 - 河北省承徳専区懐柔県・密雲県、唐山専区平谷県、張家口専区延慶県を編入。(13区4県)
- 1958年10月 (13区4県)
- 通州区の一部が朝陽区に編入。
- 昌平区の一部が海淀区に編入。
- 河北省唐山専区薊県の一部が平谷県に編入。
- 1959年11月 (13区4県)
- 密雲県の一部が順義県に編入。
- 海淀区の一部が昌平区に編入。
- 1960年1月7日 (8区9県)
- 1960年6月18日 - 順義県の一部(北京首都国際空港)が朝陽区に編入。(8区9県)
- 1963年7月8日 - 豊台区・海淀区・門頭溝区の各一部が合併し、石景山弁事処が発足。(8区9県1弁事処)
- 1964年2月 - 石景山弁事処の一部が豊台区に編入。(8区9県1弁事処)
- 1967年8月7日 - 石景山弁事処が区制施行し、石景山区となる。(9区9県)
- 1970年10月21日 - 豊台区の一部が宣武区に編入。(9区9県)
- 1974年8月1日 - 房山県の一部が分立し、石油化工区弁事処が発足。(9区9県1弁事処)
- 1980年10月20日 - 石油化工区弁事処が区制施行し、燕山区となる。(10区9県)
- 1986年11月11日 - 房山県・燕山区が合併し、房山区が発足。(10区8県)
- 1987年11月30日 - 朝陽区の一部が西城区に編入。(10区8県)
- 1996年6月24日 - 大興県の一部が豊台区に編入。(10区8県)
- 1997年4月29日 - 通県が区制施行し、通州区となる。(11区7県)
- 1998年3月3日 - 順義県が区制施行し、順義区となる。(12区6県)
- 1999年9月16日 - 昌平県が区制施行し、昌平区となる。(13区5県)
- 2001年1月9日 - 大興県が区制施行し、大興区となる。(14区4県)
- 2001年12月30日 (16区2県)
- 2002年9月12日 - 豊台区の一部が宣武区に編入。(16区2県)
- 2010年6月28日 (14区2県)
- 2015年10月13日 (16区)
河北省通県専区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国河北省通県専区が成立。通県・順義県・密雲県・懐柔県・昌順県・大興県・宛平県・良郷県・房山県・薊県・香河県・三河県・平谷県が発足。(13県)
- 1949年10月17日 - 昌順県が昌平県に改称。(13県)
- 1949年10月 (13県)
- 1949年12月19日 - 通県の一部が分立し、通県鎮が発足。(13県1鎮)
- 1950年2月 - 通県の一部が三河県に編入。(13県1鎮)
- 1950年4月19日 - 房山県の一部が保定専区淶水県に編入。(13県1鎮)
- 1950年4月 - 順義県の一部が昌平県に編入。(13県1鎮)
- 1950年5月29日 - 密雲県の一部が平谷県に編入。(13県1鎮)
- 1950年6月1日 - 順義県の一部が通県・三河県・平谷県・密雲県に分割編入。(13県1鎮)
- 1950年6月 (13県1鎮)
- 通県の一部が三河県に編入。
- 密雲県の一部が平谷県に編入。
- 1950年7月 - 天津専区武清県の一部が香河県に編入。(13県1鎮)
- 1950年9月 - 薊県の一部が唐山専区玉田県に編入。(13県1鎮)
- 1950年10月9日 - 昌平県の一部が北京市十三区に編入。(13県1鎮)
- 1950年11月14日 - 通県の一部が天津専区武清県に編入。(13県1鎮)
- 1950年12月11日 - 密雲県の一部が熱河省興隆県に編入。(13県1鎮)
- 1951年1月11日 - 通県鎮が通県に編入。(13県)
- 1951年7月6日 - 通県の一部が分立し、通県鎮が発足。(13県1鎮)
- 1951年11月20日 - 昌平県の一部が北京市十三区に編入。(13県1鎮)
- 1951年12月28日 - 熱河省灤平県の一部が懐柔県に編入。(13県1鎮)
- 1951年12月 - 密雲県の一部が熱河省興隆県に編入。(13県1鎮)
- 1952年5月 - 薊県の一部が三河県に編入。(13県1鎮)
- 1952年6月1日 - 熱河省灤平県の一部が懐柔県に編入。(13県1鎮)
- 1952年7月23日 - 宛平県が北京市に編入。(12県1鎮)
- 1952年9月 - 房山県・良郷県の各一部が北京市門頭溝区および宛平県・石景山区の各一部と合併し、北京市京西鉱区となる。(12県1鎮)
- 1952年9月18日 - 熱河省灤平県の一部が懐柔県に編入。(12県1鎮)
- 1952年12月12日 - 熱河省興隆県の一部が密雲県に編入。(12県1鎮)
- 1953年4月 - 通県の一部が昌平県・香河県・大興県に分割編入。(12県1鎮)
- 1953年6月 (12県1鎮)
- 平谷県の一部(太保荘・高各荘)が密雲県に編入。
- 密雲県の一部(李家峪)が平谷県に編入。
- 1953年7月1日 - 香河県の一部が天津専区武清県に編入。(12県1鎮)
- 1953年11月6日 - 通県鎮が市制施行し、通州市となる。(1市12県)
- 1953年12月30日 - 薊県の一部が三河県・平谷県に分割編入。(1市12県)
- 1954年3月 - 通県の一部が香河県に編入。(1市12県)
- 1954年4月24日 - 保定専区固安県を編入。(1市13県)
- 1955年3月3日 - 三河県・香河県の各一部が合併し、大廠回族自治県が発足。(1市13県1自治県)
- 1955年3月14日 - 張家口専区赤城県の一部が懐柔県に編入。(1市13県1自治県)
- 1955年3月29日 - 固安県の一部が大興県に編入。(1市13県1自治県)
- 1955年8月12日 - 懐柔県の一部が密雲県に編入。(1市13県1自治県)
- 1956年2月 - 昌平県の一部が大興県に編入。(1市13県1自治県)
- 1956年3月9日 (1市12県1自治県)
- 昌平県が北京市に編入。
- 通県の一部が北京市東郊区に編入。
- 1956年5月24日 (1市12県1自治県)
- 房山県の一部が良郷県に編入。
- 順義県の一部が懐柔県・密雲県に分割編入。
- 密雲県の一部が平谷県に編入。
- 三河県の一部が大廠回族自治県に編入。
- 1956年9月18日 - 懐柔県の一部が張家口専区延慶県に編入。(1市12県1自治県)
- 1957年4月2日 - 保定専区淶水県の一部が房山県に編入。(1市12県1自治県)
- 1957年9月30日 - 大興県の一部が北京市南苑区に編入。(1市12県1自治県)
- 1957年10月11日 - 三河県の一部が大廠回族自治県に編入。(1市12県1自治県)
- 1957年12月4日 - 順義県の一部が北京市東郊区に編入。(1市12県1自治県)
- 1958年3月7日 - 通州市・通県・順義県・大興県・良郷県・房山県が北京市に編入。(7県1自治県)
- 1958年4月28日
- 平谷県・薊県・三河県・香河県・大廠回族自治県が唐山専区に編入。
- 密雲県・懐柔県が承徳専区に編入。
- 固安県が天津専区に編入。
人口
北京市の人口は2000万人を突破し、2014年には2152万人となった[34]。戸籍人口1,755万人(2009年末)あまりで、他に公安機関(警察)に一時住居登録している流動人口が364.9万人、都心人口が917.61万人(2008年12月)いる。構成は96%が漢民族で、残り4%は55の少数民族で構成されている。
都市的地域の人口は1,395万人であり、世界第16位である[35]。
経済
2014年の北京市の市内総生産は約2兆1320億元であり[36]、上海市に次いで中国本土第2位である。2014年の北京都市圏の総生産は4811億ドルであり、世界11位の経済規模を有する[37]。
アメリカのシンクタンクが2020年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京に次ぐ世界5位の都市と評価され、特にビジネス活動の分野ではニューヨークに次いで高い評価を受けた[38]。2022年9月のイギリスのシンクタンクによると、世界8位の金融センターであり、中国では香港や上海に次ぐ3位である[39]。 イギリスの「グローバリゼーションと世界都市研究ネットワーク」(GaWC)が2020年に公表した金融、会計、法律、広告、経営コンサルタントなどビジネス分野を対象とした世界都市格付けにおいて、最高峰のロンドンとニューヨークの2都市に次ぎ、パリ、東京と同じく"アルファ+"級世界都市として選定された[40]。2013年からはフォーチュン・グローバル500においては、東京を超えて世界で最も大企業の本社が集積している都市との評価を受けている[41]。2015年にはニューヨーク、ロシアのモスクワを超えて世界で最も億万長者が多い都市となった[42]。
北京市統計局が公表した2010年の全従業員の平均賃金は年50,415元(約63万円)である[43]。月当たりだと4,201元(約5万円)である。また、2012年の最低賃金基準は1時間当たり7.2元(約90円)、月当たり1,260元(約1万6000円)である[44]。一方、非全日制就業労働者の1時間あたり最低賃金は14元(約170円)である。
北京市は、ハイテク民営企業、研究開発拠点、中国ビジネスの統括拠点としての発展を目指すものと見られる。産業構造では第三次産業への依存が高い。2003年GDPの61.4%が第三次産業である一方、第二次産業の比率は36.0%で、第一次産業に至ってはわずか2.6%に過ぎない。ちなみに中国全体では第三次産業の比率は32.3%で、上海でも48.4%である。近年では外資企業の第三次産業での進出も加速している。市中心部では、CBD構想(北京CBD計画)が着々と進むなど、北京市は上海と並ぶ中国ビジネスの統括拠点としての役割も強めている。この他、北京市は環渤海経済圏、京津冀都市経済圏における中心都市として、周辺地域との経済的な協調を図りながら効率性の高い発展を志向するものとみられる。 また、北京には多くの大学・研究機関が集中しており、多くの優秀な人材が社会へと巣立っている。
政治
故宮の西側に隣接する中南海には最高領導人(最高指導者)の居住地や中国共産党の本部と中央政府の国務院などが所在し、人民大会堂では最高権力機関である全国人民代表大会が毎年開催されている。
軍事
中部戦区司令部所在地であり、首都警備の任にあたる衛戍部隊3個師団が市内に駐屯する。国際的な国境警備の任にあたる上海協力機構の本部も所在する。
交通
道路
1960年代 - 70年代に街の交通の障害になるという理由で、明代の内城の城壁が撤去された。その跡には新たに移動の大動脈として一周約32kmの第二環状線が築かれている。その外側にさらに3つの環状線が敷かれており、現在6つの環状道路が開通。第7環状道路は現在計画中である。さらに環状2号線から放射状に12の国道が国内各地にのびる。北京から天津を経由して、渤海沿岸の塘沽までなど、6本の高速道路が建設された。
2010年、北京では、自動車の登録台数が1年で75万台超も増え、470万台を突破している。自動車の普及に道路や駐車場などインフラ整備が追いつかず、渋滞が深刻化している。8月の米誌フォーリン・ポリシーの記事では、世界で最も交通渋滞が深刻な都市に北京を挙げている。北京市ではこの状態を少しでも改善するため、公共交通優先措置、自動車のナンバープレートによる運行制限などを実施、年間の登録台数の制限も実施するとしている[45]。
2013年になり大気汚染は悪化の一途をたどり、北京市も対策に乗り出した。
同年9月29日には市の大気汚染が最悪レベルになった[46]。
鉄道
北京は中国国鉄の中心地であり、国内全省都への直通列車や、近隣諸国への国際列車が発着する。モスクワ、ウランバートル、平壌行きの国際列車をはじめ、国内全ての省、市、自治区の首府を結ぶ直行列車が発着する。2011年6月には、経済の中心地である上海とを結ぶ京滬高速鉄道が開業した[47][48]。巨大ターミナル駅として、中央駅の北京駅や北京西駅、北京南駅が挙げられる。またその他に大きな駅として、北京東駅、北京北駅、北京大興駅、豊台駅、通州西駅がある。
市中心部、郊外の交通は、北京地下鉄が担っている。また、2006年には北京市政交通カードとよばれるICカードを導入、自動改札機も全線・全駅で導入されている。2008年8月の北京オリンピックの開催を契機に路線網が急速に拡大し、2020年末現在では総延長はおよそ727Kmとなる[49]。
- 中国国鉄の主な路線
- 地下鉄の路線
- ライトレールの路線
- 西郊線荘
- 亦荘T1線
航空
- 北京の玄関口として北京首都国際空港が北京中心部から約25キロ北東に位置する。この空港は中国最大級の空港かつ、もっとも忙しい空港である。アジアでも最大級の規模を持つ中国国際航空及び海南航空、中国南方航空のハブ空港である。
- 北京中心部から約13キロ南には、清の時代から続く中国最古の北京南苑空港がある。この空港は軍民共用であり、市内へのアクセスが北京首都国際空港よりも良い。北京南苑空港は北京大興国際空港が開港したことを受け、2019年10月に閉鎖された。
- 軍用空港である北京西郊空港は、北京では南苑空港に次ぐ古い空港で市街から最も近い。
- 北京大興国際空港が2019年9月25日に軍民共用として開港した[50]。
文化
音楽
北京には多くのロック専門のミュージシャンが集まり、北京を彼らの音楽人生の始まりとして見る。前衛的なアーティスト達も活躍している[53]。
メディア
北京電視台が国営放送網として北京に所在し、主として1から10までの番号をふられたチャンネルをそれぞれ放送する。
スポーツ
オリンピック
2008年8月8日から8月24日にかけて、北京市で中国初の夏季オリンピックである北京オリンピックが開催された。さらに2022年2月4日から2月20日にかけては、同じく北京市で中国初の冬季オリンピックとなる2022年北京オリンピックが開催された[54]。この大会は、五輪史上初となる夏・冬オリンピックの同一都市での開催となった[55]。
サッカー
北京市にはプロサッカークラブとして、中国サッカー・スーパーリーグに所属する北京中赫国安と、甲級リーグに所属する北京北体大が存在している。かつては北京人和も存在していたが、2021年に債務問題と給与未払い問題が発覚しクラブは解散した。なお、北京中赫国安は中国国内最大級のスタジアムである「北京国家体育場」をホームスタジアムとしており、この場所は2008年北京五輪および2022年北京五輪のメインスタジアムとしても知られる。
教育
北京は、中国国内で最も大学の数が多い。また、清華大学や北京大学など、国内最上級の優秀な大学が所在している。
日本人の語学留学生(標準中国語)の行き先は、北京が一番多い。これは語学留学生を受け入れている学校(大学)数が、中国国内で最も多いことが関係している。また、中国の中心地であるため有名な建築物が多く、比較的標準語に近い言葉を話している地域である。
大学
日本人学校
博物館
観光
中国の代表的な観光都市として知られ、50万年前からの人類が生活してきた歴史、3000余年の街造りの歴史、700余年も全国的な政権が都をこの地に置いた歴史があり、中国の七大古都の1つである。北京は古都にふさわしい第一級の名勝史跡に恵まれており、外国人観光客数、観光外貨収入は国内第1位である。紫禁城や天安門広場、庭園、古くから市民の居住する街並みである衚衕などがあり海外からの観光客も多く訪れる都市である。
世界遺産
- 北京と瀋陽の明・清王朝皇宮 - 北京故宮(文化遺産、1987年)
- 万里の長城 - 八達嶺長城(文化遺産、1987年)
- 周口店の北京原人遺跡(文化遺産、1987年)
- 頤和園(文化遺産、1998年)
- 天壇(文化遺産、1998年)
- 明・清王朝の皇帝墓群 - 明の十三陵(文化遺産、2000年)
- 大運河(文化遺産、2014年)
娯楽施設
姉妹都市
典拠: [59]
北京を舞台とした作品
脚注
注釈
出典
- ^ 北京市 概況と投資環境 日本貿易振興機構(JETRO)北京センター
- ^ “人口”. 北京市人民政府 (2023年3月22日). 2023年8月22日閲覧。
- ^ 京都産業大学 大学院 外国語学研究科 中国語学専攻/研究紹介/矢放昭文教授 インタビュー
- ^ Dictionary Beijing
- ^ UNdata China
- ^ Geographic Names
- ^ 北京市公式サイトの英語版
- ^ 北京大学の公式ホームページ
- ^ 『清文鑑外新語』
- ^ 《史記・巻六・秦始皇本紀第六》秦王覺之,體解軻以徇,而使王翦、辛勝攻燕。燕、代發兵撃秦軍,秦軍破燕易水之西。
- ^ 《史記・巻八十六・刺客列傳第二十六》於是秦王大怒,益發兵詣趙,詔王翦軍以伐燕。
- ^ 《史記・巻六・秦始皇本紀第六》二十一年,王賁攻薊。乃益發卒詣王翦軍,遂破燕太子軍,取燕薊城,得太子丹之首。
- ^ 《史記・巻八十六・刺客列傳第二十六》十月而拔薊城。
- ^ 秦滅燕、趙和破斉 Archived 2015-09-23 at the Wayback Machine. 中華文化信息网
- ^ 島崎晋 2018, p. 91.
- ^ Xiong (2009), s.v. "Dai"
- ^ 馮夢竜《東周列国志》“王賁兵渡鴨緑江,圍平壌城,破之,虜燕王喜,送入咸陽,廢為庶人。”但純属小説家之言,不足為信。
- ^ https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART001826146
- ^ 新宮、2017年、P21.
- ^ 新宮、2017年、P22.
- ^ 新宮、2017年、P23.
- ^ 新宮、2017年、P29.
- ^ 新宮、2017年、P23-24・31.
- ^ 新宮、2017年、P24-26.
- ^ 新宮、2017年、P35-39.
- ^ 新宮、2017年、P27-28.
- ^ 北京の歴史 人民中国、2021年6月13日閲覧
- ^ 北京/北平 世界史の窓、2021年6月13日閲覧
- ^ 日本大百科全書 コトバンク、ニツポニカ、2021年6月13日閲覧
- ^ “蔡総統、「一国二制度受け入れない」 世界との連携強化へ=2期目就任”. 中央通訊社. (2020年5月20日) 2020年5月21日閲覧。
- ^ 世界の気候区の更新
- ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
- ^ 北京市 - 区划地名网
- ^ [1]
- ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
- ^ [2]
- ^ Cities Rank Among the Top 100 Economic Powers in the World Chicago Council on Global Affairs 2016年10月28日閲覧。
- ^ “Read @Kearney: 2020 Global Cities Index: New priorities for a new world” (英語). www.kearney.com. 2021年1月27日閲覧。
- ^ The Global Financial Centres Index 2022年9月24日閲覧。
- ^ “GaWC - The World According to GaWC 2020”. www.lboro.ac.uk. 2021年1月27日閲覧。
- ^ “フォーチュン500社の企業、北京本社が最多に 東京抜く―中国メディア”. フォーカス・アジア (2014年6月22日). 2016年7月31日閲覧。
- ^ “北京、世界で最も多く億万長者が住む都市にNYを上回る”. AFP (2016年2月25日). 2016年3月1日閲覧。
- ^ 北京:従業員平均月収は4201元
- ^ 北京市2012年最低賃金基準調整に関する通知
- ^ 渋滞に大気汚染…まん延する「自動車病」―中国
- ^ 北京の大気汚染、最悪レベルに=中国 - びわ湖大津経済新聞(2013年9月29日閲覧)
- ^ 京滬高速鉄道開通、中国鉄道の新時代を切り開く - ウェイバックマシン(2012年5月21日アーカイブ分)
- ^ 小谷まなぶ (2011年7月11日). “北京-上海間の高速鉄道に乗ってみる”. アゴラ. 2020年5月23日閲覧。
- ^ “3条轨道交通线路开通 本市路网总里程增至727公里” 2021年9月1日閲覧。
- ^ “世界最大規模の北京大興国際空港が開港”. 会報「日本と中国」 (公益社団法人日本中国友好協会). (2020-1-1) 2020年5月23日閲覧。.
- ^ “北京市、「非文明的」行為を禁止 公衆衛生の向上目指す”. AFPBB News. (2020年4月27日) 2020年5月23日閲覧。
- ^ “男性が腹を出す「北京ビキニ」、中国済南市で禁止に 「非文明的」”. CNN.co.jp. (2019年7月5日) 2020年5月23日閲覧。
- ^ [3]
- ^ “Beijing named host city of Olympic Winter Games 2022”. International Olympic Committee. (2015年7月31日) 2018年1月1日閲覧。
- ^ “北京で22年冬季五輪 史上初の夏冬両大会開催”. 日本オリンピック委員会. (2015年7月31日) 2018年1月1日閲覧。
- ^ “北京統計年鑑2018 10-12 北京市級友好城市”. 北京市統計局. 2019年10月9日閲覧。
- ^ “北京与布拉格缔结国际友好城市关系 _ 中国网”. beijing.china.org.cn. 2019年10月9日閲覧。
- ^ “布拉格解除與北京姐妹市關係 中國:背信棄義 | 國際 | 中央社 CNA” (中国語). www.cna.com.tw. 2019年10月9日閲覧。
- ^ Beijing Official Web Portal - ウェイバックマシン(2008年5月16日アーカイブ分)
参考文献
- 櫻井澄夫、人見豊、森田憲司編『北京を知るための52章』明石書店、2017年。
- 竹内実『世界の都市の物語(9) 北京』文藝春秋、1992年。 ISBN 4-16-509610-5。
- 陣内秀信ほか編『北京都市空間を読む』鹿島出版会、1998年。 ISBN 4-306-07212-6。
- 多田貞一『北京地名誌』新民印書館、1938年。(北京で中国語版も出版された)
- 松木民雄『北京地名考』朋友書店、1988年。 ISBN 978-4892810145。
- 櫻井澄夫『中国・食と地名の雑学考』田畑書店、2005年。 ISBN 978-4803803181。
- 新宮学「近世中国における首都北京の確立」『明清都市商業史の研究』汲古書院、2017年 ISBN 978-4-7629-6041-3 P13-46.(初出:鈴木博之, 石山修武, 伊藤毅, 山岸常人 編『近代都市の成立』〈シリーズ都市・建築・歴史5〉(東京大学出版会、2005年))
関連項目
外部リンク
- 公式
- 北京市公式サイト (中国語)(英語)(日本語)(朝鮮語)(ドイツ語)(フランス語)(スペイン語)(ロシア語)(アラビア語)
- 日本政府
- 観光
- 歴史地図
- 新聞
- その他