吉田豊 (競馬)
吉田豊 | |
---|---|
![]() 2011年阪急杯表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 茨城県 |
生年月日 | 1975年4月19日(47歳) |
身長 | 159cm[1] |
体重 | 48kg[1] |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 | 大久保洋吉・美浦(1994年-2015年2月) →フリー・美浦(2015年3月-) |
初免許年 | 1994年 |
免許区分 | 平地・障害[2] |
吉田 豊(よしだ ゆたか、1975年4月19日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手。
1994年にデビュー。翌1995年より頭角を現し、1996年から1999年にかけてはメジロドーベルでGI競走5勝を挙げた。ほかマイネルラヴによるスプリンターズステークス(1998年)、スマイルトゥモローによる優駿牝馬(オークス)(2002年)、ブルーメンブラットによるマイルチャンピオンシップ(2008年)優勝などの実績がある。2013年には史上26人目のJRA通算1000勝を達成している。
経歴
生い立ち
茨城県出身[5]。実家の近郊には後に自身も所属する関東人馬の拠点・美浦トレーニングセンターがあったが、その存在も含めて競馬のことはほとんど知らずに育った[6]。中学生時代には器械体操を経験し、高校受験を控えて親から騎手という職業があることを聞かされ、小柄だったこともあり競馬学校騎手課程の受験を決意[6]。また、競馬漫画『風のシルフィード』に影響されたともいう[7]。全く乗馬経験がないながら合格[7]。入学当初は乗馬未経験者へのカリキュラムを受けていたが、半年ほどで同期生の成績上位となり、やがてトップに立つようになる[7]。とくに反応の鈍い馬を走らせることに長けた生徒であった[7]。競馬学校卒業後は美浦トレーニングセンター・大久保洋吉厩舎に所属。大久保は早くから吉田に注目していたという[5]。なお、同期生には幸英明、渡辺薫彦、小林久晃、植野貴也、高山太郎などがいる[3]。
騎手時代
1994年3月にデビュー。大久保厩舎所属馬のほとんどを任されながら初年度は6勝に終わったが、2年目は28勝と成績を上げ、関東のホープとして注目される[5]。また穴馬をしばしば上位に食い込ませて関係者からの信頼を厚くし、有力馬への騎乗も増やしていった[8]。1996年12月、大久保厩舎のメジロドーベルで阪神3歳牝馬ステークスを制し、重賞初勝利をGI競走で果たす。翌1997年は同馬と牝馬三冠戦線の中心を担い、優駿牝馬(オークス)と秋華賞に優勝。83勝を挙げ、全国6位(関東4位)の位置につけた[9]。このころ、関西にトップジョッキーの武豊がいたことに準え、「東のユタカ」とも称された[10][注 1]。翌1998年にはメジロドーベルでエリザベス女王杯を制したほか、スプリンターズステークスではマイネルラヴに騎乗し、当年日本調教馬としてはじめてヨーロッパのG1競走を制したシーキングザパール、そして単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持されていた当年の年度代表馬・タイキシャトルを退けて優勝している[11]。
1999年8月、美浦トレーニングセンター内の独身寮で後藤浩輝から木刀で殴打されるなどの暴行を受ける。後藤は4カ月の騎乗停止処分となった。のち11月にはメジロドーベルでエリザベス女王杯を連覇。競走後には感泣した姿を見せ、インタビューではその理由について「今年はいろいろとあったから」と語った[12]。メジロドーベルは牝馬最多(当時)のGI5勝の実績と共に引退。吉田は後に「デビュー間もない僕を乗せ続けてくれたのは、先生のおかげ以外の何物でもない」と大久保への感謝を述べた[13]。また大久保も「豊にとってデビュー3年目にメジロドーベルと出会えたのは大きかったと思いますし、幸せだったと思いますよ。この馬で競馬を覚えたというのはあると思います。大きなレースで勝つためにはどのような競馬をするのか、そういう意味では一番影響が大きかったのではないでしょうか」と述べている[14]。
2002年にはスマイルトゥモローでオークス2勝目を挙げる。2003年6月、落馬事故で肋骨4本を折る重傷を負ったが1カ月で復帰し、直後の8月からはフランスで1カ月間の滞在騎乗を行った[13]。翌2004年末にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズ優勝。2008年にはブルーメンブラットでマイルチャンピオンシップを制した。このときは管理調教師の石坂正から「理想通りの乗り方」と称えられた[15]。
デビュー20年目を迎えた2013年4月、史上26人目のJRA通算1000勝を達成。「所属の大久保厩舎の馬で達成したかったのですが、(同厩舎で)一緒に仕事をしてきた高橋文雅先生の馬で勝てて良かった」と語った[16]。2015年2月には大久保が70歳定年のため引退[17]。これに伴い吉田は3月よりフリーとなる[18]。
2017年12月10日、中山競馬場第5レースで騎乗のビクトリーモーンから落馬。頸椎骨折の重傷を負い、長期休養を余儀なくされた。リハビリの間に行われたメジロドーベルのお披露目式にも参加[19]。
2019年3月2日、中山競馬場第6レースにて復帰[20]。
2022年3月27日(現地時間26日)、パンサラッサに騎乗してドバイターフを制覇、海外GⅠ初勝利を挙げた[21]。
主な騎乗馬
- メジロドーベル(1996年阪神3歳牝馬ステークス、1997年優駿牝馬、オールカマー、秋華賞、1998年府中牝馬ステークス、エリザベス女王杯、1999年エリザベス女王杯)
- トキオエクセレント(1997年青葉賞)
- サイレントハンター(1998年新潟大賞典、1999年中山金杯、産経大阪杯、2001年新潟大賞典)
- マイネルラヴ(1998年スプリンターズステークス)
- リージェントブラフ(2001年ダイオライト記念、2002年川崎記念、2003年名古屋グランプリ)
- メジロダーリング(2001年アイビスサマーダッシュ)
- クリスザブレイヴ(2001年富士ステークス)
- スマイルトゥモロー(2002年優駿牝馬)
- シュウナンパントル(2004年阪神ジュベナイルフィリーズ)
- メジロマントル(2005年鳴尾記念)
- シャーベットトーン(2007年マーキュリーカップ)
- ユメノシルシ(2007年新潟記念)
- エイシンロンバード(2007年武蔵野ステークス)
- マキハタサイボーグ(2007年ステイヤーズステークス)
- タイセイアトム(2008年ガーネットステークス)
- ミヤビランベリ(2008年七夕賞)
- ブルーメンブラット(2008年府中牝馬ステークス、マイルチャンピオンシップ)
- ニシノナースコール(2009年エンプレス杯)
- サンカルロ(2009年ニュージーランドトロフィー、2011年阪急杯、阪神カップ、2012年阪神カップ)
- オーロマイスター(2010年マイルチャンピオンシップ南部杯)
- シビルウォー(2011年ブリーダーズゴールドカップ、白山大賞典)
- ケイアイドウソジン(2012年ダイヤモンドステークス)
- ケイアイエレガント(2014年福島牝馬ステークス)
- ショウナンラグーン(2014年青葉賞)
- シュンドルボン(2016年中山牝馬ステークス)
- ツクバアズマオー(2017年中山金杯)
- クリスタルブラック(2020年京成杯)
- パンサラッサ(2022年中山記念、ドバイターフ)
騎乗成績
年 | 開催 | 勝利 | 出走 | 勝率 |
---|---|---|---|---|
1994年 | 中央 | 6勝 | 269回 | .022 |
1995年 | 中央 | 28勝 | 438回 | .064 |
地方 | 1勝 | 4回 | .250 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 29勝 | 442回 | .066 | |
1996年 | 中央 | 51勝 | 536回 | .095 |
地方 | 0勝 | 11回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 51勝 | 547回 | .093 | |
1997年 | 中央 | 83勝 | 647回 | .128 |
地方 | 2勝 | 17回 | .118 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 85勝 | 664回 | .128 | |
1998年 | 中央 | 62勝 | 619回 | .100 |
地方 | 2勝 | 16回 | .125 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 64勝 | 635回 | .101 | |
1999年 | 中央 | 58勝 | 576回 | .101 |
地方 | 0勝 | 9回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 58勝 | 585回 | .099 | |
2000年 | 中央 | 55勝 | 538回 | .102 |
地方 | 0勝 | 9回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 55勝 | 547回 | .101 | |
2001年 | 中央 | 42勝 | 586回 | .072 |
地方 | 1勝 | 16回 | .068 | |
国外 | 0勝 | 1回 | .000 | |
計 | 43勝 | 603回 | .071 | |
2002年 | 中央 | 59勝 | 640回 | .092 |
地方 | 2勝 | 18回 | .111 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 61勝 | 658回 | .093 | |
2003年 | 中央 | 42勝 | 524回 | .080 |
地方 | 1勝 | 17回 | .059 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 43勝 | 541回 | .079 | |
2004年 | 中央 | 56勝 | 606回 | .092 |
地方 | 1勝 | 6回 | .167 | |
国外 | 0勝 | 1回 | .000 | |
計 | 57勝 | 613回 | .093 | |
2005年 | 中央 | 50勝 | 640回 | .078 |
地方 | 0勝 | 7回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 50勝 | 647回 | .077 | |
2006年 | 中央 | 57勝 | 759回 | .075 |
地方 | 0勝 | 9回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 57勝 | 768回 | .074 | |
2007年 | 中央 | 49勝 | 717回 | .068 |
地方 | 1勝 | 8回 | .125 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 50勝 | 725回 | .069 | |
2008年 | 中央 | 64勝 | 794回 | .081 |
地方 | 0勝 | 8回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 64勝 | 802回 | .080 | |
2009年 | 中央 | 50勝 | 749回 | .067 |
地方 | 1勝 | 3回 | .333 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 51勝 | 752回 | .068 | |
2010年 | 中央 | 76勝 | 858回 | .089 |
地方 | 2勝 | 11回 | .182 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 78勝 | 869回 | .090 | |
2011年 | 中央 | 50勝 | 749回 | .067 |
地方 | 3勝 | 13回 | .231 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 53勝 | 762回 | .070 | |
2012年 | 中央 | 48勝 | 781回 | .061 |
地方 | 0勝 | 5回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 48勝 | 786回 | .061 | |
2013年 | 中央 | 48勝 | 736回 | .065 |
地方 | 0勝 | 1回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 48勝 | 737回 | .065 | |
2014年 | 中央 | 42勝 | 734回 | .057 |
地方 | 0勝 | 2回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 42勝 | 736回 | .057 | |
2015年 | 中央 | 59勝 | 745回 | .079 |
地方 | 0勝 | 1回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 59勝 | 746回 | .079 | |
2016年 | 中央 | 41勝 | 749回 | .055 |
地方 | 1勝 | 6回 | .167 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 42勝 | 755回 | .056 | |
2017年 | 中央 | 33勝 | 625回 | .053 |
地方 | 0勝 | 2回 | .000 | |
国外 | - | - | - | |
計 | 33勝 | 627回 | .053 |
- 出典:日本中央競馬会ホームページ・騎手名鑑「吉田豊」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
- 競走名太字は国際G1、中央および地方競馬と統一されたGI・JpnI。
受賞
- フェアプレー賞(関東)5回(1996年、1999年-2001年、2003年)
脚注
- ^ 1997年のレース実況CD集『杉本清のGI〜完全実況'97後期』(ポニーキャニオン 1998年) の「秋華賞」の実況でも「東のユタカ」と称されている。
出典
- ^ a b 日本中央競馬会ホームページ・騎手名鑑「吉田豊」(直接リンク不可)
- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者 (PDF)”. 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
- ^ a b 『優駿』1994年4月号、p.74
- ^ “騎手課程第20期生 卒業式”. 日本中央競馬会. 2008年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月18日閲覧。
- ^ a b c 『優駿』1997年7月号、pp.30-33
- ^ a b “吉田豊騎手インタビュー”. 競馬ラボ (2009年9月6日). 2015年6月18日閲覧。
- ^ a b c d 『優駿』1994年5月号、p.99
- ^ 『優駿』1996年10月号、p.35
- ^ 『優駿』1998年2月号、p.156
- ^ 『優駿』1999年1月号、pp.88-89
- ^ 『優駿』1999年2月号、p.16
- ^ 『優駿』1999年12月号、p.33
- ^ a b 『優駿』2003年11月号、pp.44-47
- ^ “ドーベルらを輩出 そして受け継がれる師弟関係・大久保洋師”. 競馬ラボ (2015年2月22日). 2015年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月18日閲覧。
- ^ 『優駿』2009年1月号、p.53
- ^ “吉田豊1000勝“縁”が呼んだ記念星”. デイリースポーツonline (2013年4月22日). 2013年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月18日閲覧。
- ^ “通算878勝・大久保洋師、調教師生活に幕「いい時代にやらせてもらえた」”. スポーツ報知 (2015年3月1日). 2015年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月19日閲覧。
- ^ “【所属変更】吉田豊騎手はフリーに”. SANSPO.com (2015年2月28日). 2015年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月19日閲覧。
- ^ “函館競馬場でメジロドーベルお披露目 負傷休養中の吉田豊も登場「早く復活したい」”. netkeiba.com (2018年7月22日). 2019年4月14日閲覧。
- ^ “吉田豊騎手が1年3カ月ぶり復帰で13着”. SANSPO.com (2019年3月2日). 2019年4月14日閲覧。
- ^ “【ドバイターフ結果】吉田豊騎手騎乗パンサラッサと前年覇者ロードノースが1着同着!”. netkeiba (2022年3月27日). 2022年3月27日閲覧。