国語
国語(こくご、英: National language、仏: Langue nationale)は、その国家を代表する言語で、公の性格を担う言語のことを指す。国民にとって共通の言語というべき性質をもつ。国家語ともいう。
「外国語」と対をなす言葉であると一般に認識されている。あるいは「国際的な公用語」とも対となる言葉でもあるとされる。
日本の学校教育における教科である「国語」は、1900年(明治33年)に、小学校令の改正により「読書」「作文」「習字」の3教科を統一して新設された[2]。
概要
たとえばスイスには4つの国語があり[3]、それらはドイツ語、フランス語、イタリア語、レト・ロマンス語である[3]。たとえばスイスの各紙幣には、金額と発行銀行名(スイス国立銀行)が4つの国語全てで表記されている[3]。こうして4国語での併記の原則が護られている[3]。なお、どうしても4国語を併記する場所(印刷スペース)が足りないような場合は、国語の一部だけを採用するのではなく、代わりにHelvetia(ラテン語)で表記する[3]。どれか一部の国語だけを優先し他を軽視するなどということはしない、という配慮をしているわけである。
カナダでは英語とフランス語が、国家としてのカナダの公的な言語、国語である[4]。
なお、複数の言語を有する国家が、どの言語を国語として認定するかは、しばしば深刻な民族問題を招くことがあるという。言語はそれぞれに異なった民族集団を抱えており、その言語の優位性が、民族どうしの文化的・宗教的な衝突の直接の原因となりうるからである[1]。
使用頻度が少ない言語を国が選択することも多い。例えばシンガポールは、歴史上の理由から国民の大多数の母語である中国語を国語とせずマレー語を国語にしている。アイルランドにいたっては、日常用いる機会がかなり限定された言語であるにもかかわらず、アイルランド語を民族本来の言語であるという理由で国語と制定している。
三省堂『言語学大辞典』の記事の執筆者は、「英語、フランス語、日本語などの国名を冠する言語は、その国家の中枢を形成する民族による言語であることを意味する」とし、「これらは真の意味での『国語』であるといえる」と記述した[1]。(「この意味でアイヌ語、ロマ語などは国語とはみなされない」のだと、『言語学大辞典』の執筆者は述べた[1]。)
またスペイン語やアラビア語のように複数の国家において強い地位をもつ言語は、いわゆる言語帝国主義の観点によると、それぞれの国家における国語とみなしうるものであるという。
高島俊男は『本が好き、悪口言うのはもっと好き』という本で「民族の歴史と地域の歴史に乖離のあるインドなどにおいては、「インド語」という呼称が指す範囲は不透明であり、少なくとも学術的な文脈では用いない。中国語という呼称も同様の問題が提起されることがあり、「漢語」あるいは「支那語」という旧来の術語を好んで用いる専門家も存在する、と主張した[5]。
日本の国語と、日本における“国語”という表現
日本の国語(国家語)は日本語である。
日本では、政府の役所の影響があるような文脈、たとえば文部科学省の学校教科名では“国語”科、主に学校教育向けの辞典も“国語”辞典というように、“日本語 (Japanese)”と呼ばずに“国語 (National language)”と呼ぶことが行われるが、世界的に見ればこのような例はきわめて少ない。例えば、イギリスやアメリカなど英語圏国家では“English”すなわち“英語”と固有名詞ではっきりと呼び、“National language”などと一般概念を指す名詞で済ませてしまうような奇妙なことはしない。
どんな国でも、憲法上あるいは法律上、その国の国語(National language)を定めていても、その言語のことを、日常的に「国語」と呼んでしまって本来の言語名を伏せてしまうような奇妙なことはしないのである。きちんとその正式名称、正式の固有名詞で呼ぶ。たとえばイギリスの国家語はEnglish(英語)と定められているが、イギリスの政府の人間でも、英語のことは「English」と呼んでおり、日常的に英語のことを「national language」と呼んで済ませてしまって「English」という言葉を口にせず隠ぺいしてしまうような奇妙なことはしないのである。政府系の人間ならむしろ「English」とはっきり言い、「English」であることを強調する。フランスでも、フランスの国家語はフランス語であるが、フランス政府関係者であっても、フランス語のことは必ず「フランス語」と呼び、他でもないフランス語であることを強調する。フランス語のことを日常的に「国家語」などと呼んで済ませてしまって「フランス語」という呼び方を口にせず隠ぺいしてしまう、などという奇妙なことは絶対にしないのである。
なお日本の英語教育でも、教科としての「国語(日本語)」を訳す場合でも、あくまでJapaneseである。
明治政府の言語施策、「国語」という単語の由来
江戸時代には日本列島内でも藩ごとに言葉がかなり異なり、倒幕し政権を樹立した明治新政府はその状況に困り、言語を統一しないことには日本国の近代化は進まないと考え、苦労して標準の日本語(標準語)を定め、その標準語こそが日本国の共通の言語つまり「国語」(あるいは国家語)だと国民にしっかり意識してもらい、その言語のもとに日本列島に住むさまざまな人々をひとつにまとめようと考えたことや、本当は「日本語」という正式呼称があるが、その言語が国民の共通の言語だという意識を日本の人々に持ってもらうことをまずは第一の重要事項と考えて、「日本語」ではなく「国語」という表現のほうを多用したという事情があった、というくらいのことは誰にでも容易に想像がつく。
ところで「国語」という単語は、明治時代に作られた和製漢語であり[注 1]、この語の創始者については三宅米吉、物集高見、上田万年など諸説があるが、1885年(明治18年)に三宅米吉が立ち上げた『方言取調仲間』の趣意書に「我が日本の国語」という表記が初めて使用され、定着した[6]。なお、この「国語」という単語は、中華圏・朝鮮半島・ベトナム[注 2]などの漢字圏に逆輸入されている。
日本の漢字制限などの国語施策は、文部科学省・文化庁の管轄にある。国語審議会での審議結果を反映する形で、現代仮名遣い、当用漢字/常用漢字などとして実施されてきた。国語審議会は2001年の省庁再編時に解散し、現在は文化審議会国語分科会として、教育漢字などの日本語教育、漢字制限の在り方などを検討している。国立国語研究所は、これに協力する形で各種資料などの作成も行っている。
近年の傾向 - 「日本語」と呼ぶことが増えてきている。
なおJapaneseを日本語に訳す場合、政府系の文脈では「国語」としているが、近年では文部科学省の学校教育の場から離れた文脈では「日本語」としていることも多くなってきている。たとえば『日本語シソーラス 類語検索辞典』(大修館)『基礎日本語辞典』(角川)『日本語使いさばき辞典』(東京書籍)等々である。
明治初期のように日本の国境を越えて人々が行き来することが少なかった時代、そして日本語を話すのはほぼ日本人しかいなかった時代は、何も考えずに日本語を「国語」と呼んでもさほど問題はなかった。
だが現代のように人々が日々ジェット機で国境を越えて移動し、非常に多くの人々が国境を越えて世界から日本にやってきて日本で働き日本語を学ぶようになった今日では、誰に対しても日本語を「国語」と呼んで済ませてばかりはいられない状況が頻繁に起きるようになっている。たとえばアメリカから日本に来て仕事をし日本語を流暢に話すようになった人(アメリカ人)と会話している時は、日本語を「国語」と呼んでいては、おかしなことになる。この場合は「日本語」としか呼びようがなくなる。そのアメリカ人と話をしている最中まで、日本語のことを「国語」と呼ぶのは不適切だということは、少し考えれば誰にでも分かる。
また日本語を使う人と言えば日本人くらいしかいなかった時代、日本語を習得する外国人が極端に少なかった時代では、日本語を「国語」と呼んでもさほど問題はなかったかも知れないが、近年では、各国で日本語を学ぼうとする人々の数が非常に増加してきており、「学びたい外国語」の1位に日本語がランクインしている国がいくつも登場しており、その結果、膨大な数の外国人が日本の外で日本語を学ぶような状況にすでになっているわけだが、たとえばアメリカでアメリカ人が日本語を学んでいる状況でも、日本語教師がアメリカ人の学生に向かって日本語を「国語」と呼ぶのは不適切となっている。
実は、昔からフランス人がフランス語をはっきりと「フランス語」と呼び、ドイツ人がドイツ語をはっきりと「ドイツ語」と呼んでいるのには、同様の理由がある。人間が国境を越えて行き来し、国境を越えて国境の外側から互いの言語を学びあう人々の数が多い状況では、たとえ自国の公的な言語であっても「国語」と呼んだりすることは、次第に奇妙になり、困難になるのである。世界では国境は基本的に陸上にあり、ヨーロッパでは昔から国境を越えて人々の交流がさかんで、互いの言語を学習しあっていた。その状況で、自国の公的言語の固有名詞をはっきりと言わずに「国語」と呼んでは、何語のことを指しているのか不明になってしまうのである。たとえばフランス人とドイツ人が国境付近で「国語」などと言っても、いったいその表現が具体的に何語のことを指しているのか、聞いているほうにはさっぱり分からなくなってしまうのである。フランス人が外国語のドイツ語を話し、ドイツ人が外国語のフランス語を話して、日常的にフランス語とドイツ語をごちゃまぜでやりとりするような会話をすることが頻繁に起き、そのような状況で「国語」などと言っても、聞いている相手も、脇で話を聞いている第三者にも、いったい何語のことなのかさっぱり分からないのである。だから常に具体的に「フランス語」とか「ドイツ語」と明確に呼ぶ必要があるのである。
結局、国際交流が進むと、「国語」などと曖昧な表現で済ましておくことは困難になり、はっきりと固有名詞で「日本語」と呼ばざるを得なくなる状況が増え、それが次第に一般化するのである。
- 他
なお日本人は、言語をつい「○か国語」と、国と結びつけて数えてしまいがちであるが、しかし世界には国語になっていない少数話者の言語が多数存在したり、国に複数の公用語がある場合など、国の数と言語の数を結びつけるのは適切ではないので、それを考慮する場合は、「○言語」という数えるほうが適切である。同様に「母国語」のようにわざわざ国と結びつけるようなことは避ける用語・概念の母語がある。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 「国語」『言語学大辞典』546頁。
- ^ 2012年1月9日放送、日本テレビ「たけしの教科書に載らない日本人の謎2012」
- ^ a b c d e 高橋秀彰「スイス連邦の公用語と国語 - 史的背景と憲法上の言語規定 -」pp.27-28
- ^ Office of Commissioner of Official Languages, Canada’s official languages and you.
- ^ 『本が好き、悪口言うのはもっと好き』文藝春秋、1998年。
- ^ 紀の国の先人たち 三宅 米吉|和歌山県ホームページ Archived 2011年4月29日, at the Wayback Machine.
- ^ あいさつ | 日本語学会
参考文献
- 鈴木重幸「国語学と日本語学」(『教育国語』86号,むぎ書房,1986年9月。のち、『形態論・序説』,むぎ書房, 1996年,ISBN 978-4-8384-0111-6.に所収)
- 亀井孝、河野六郎、千野栄一(日本語) 『言語学大辞典』 第6巻、三省堂、1996年1月、546頁。 ISBN 978-4385152189。