広島女学院中学校・高等学校

広島女学院中学校・高等学校
Hiroshima Jogakuin Junior & Senior High School 20141004-1.JPG
過去の名称 広島女学会
私立英和女学校
広島女学院高等女学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人広島女学院
校訓 CUM DEO LABORAMUS
(我らは神と共に働く者なり)
設立年月日 1886年
創立者 砂本貞吉
共学・別学 女子校
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 中学は学年制、高校は単位制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 34509B
中学校コード 340235[1]
所在地 730-0014 
広島県広島市中区上幟町11-32

北緯34度23分52.8秒 東経132度28分1.1秒 / 北緯34.398000度 東経132.466972度
外部リンク 公式サイト
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広島女学院中学校・高等学校(ひろしまじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、広島県広島市中区上幟町にある私立女子中学校高等学校

上部学校に広島女学院大学がある。

解説

1886年に砂本貞吉が開設し、アメリカから来日した宣教師のN・B・ゲーンスによって教育の基盤が整備された。国際交流や平和活動に力を注いでいる。 2006年、長年に渡る平和活動が評価され学校法人としては初の谷本清平和賞を受賞している。

女院(じょいん)と通称される中高一貫の私立女子校であり、中国地方では最も歴史の長いミッションスクールである。

完全中高一貫校である為、高等学校での生徒募集をしていない。 2010年には、中学校舎と繋がっていた旧高校校舎は取り壊され、運動場側に新高校校舎が建設された。

所在地

  • 〒730-0014 広島市中区上幟町11-32

沿革

  • 1886年 - 「広島女学会」として広島市西大工町(現・中区榎町)で創立。
  • 1887年 - 「私立広島英和女学校」として広島初の女学校を開設。
  • 1890年 - 広島市中区上幟町(現在地)に移転。
  • 1896年 - 「私立広島女学校」と改称。
  • 1932年 - 「広島女学院」と改称。
  • 1943年 - 中等学校令準拠の教育機関となる[2]
  • 1945年 - 原子爆弾投下により生徒・教職員に多数の犠牲者。校舎焼失。
  • 1947年 - 新制中学校発足。原爆により倒壊した校舎を再建。
  • 1948年 - 新制高等学校発足。
  • 1951年 - 学校法人広島女学院が発足。
  • 1986年 - 創立100周年記念式典挙行。
  • 1988年 - 歴史資料館竣工。
  • 2006年 - 創立120周年感謝記念式挙行。
  • 2014年 - 文部科学省からスーパーグローバルハイスクールに指定される。

校句

「CUM DEO LABORAMUS(我らは神と共に働く者なり)」(新約聖書、コリントの信徒への手紙一 3章9節)

著名な出身者

関連校

最寄駅

脚注

  1. ^ 広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE (PDF)”. 2020年10月10日閲覧。
  2. ^ 官報』 1943年4月14日

関連項目

外部リンク