愛新覚羅溥任

愛新覚羅溥任
金友之
愛新覚羅氏

出生 1918年9月21日
中華民国の旗 中華民国北京、什刹海
死去 2015年4月10日(96歳没)
中華人民共和国の旗 中国
子女 金毓嶂
父親 醇親王載灃

愛新覚羅 溥任(あいしんかくら ふにん、1918年9月21日 - 2015年4月10日)は、辛亥革命後に誕生したの皇族の子。「ラストエンペラー」として知られる愛新覚羅溥儀の弟。漢名は金友之

生涯

前列3段目が溥任(1921年撮影)

1918年9月21日醇親王載灃の四男として、北京で誕生した[2]。溥任の誕生当時、国家としての清はすでに1912年辛亥革命により滅亡していたが、清室優待条件により、皇室は「遜清皇室小朝廷」として維持されていた。

長兄の溥儀が「康徳帝」として満洲国の皇帝に即位しても、溥任は兄とは異なり執政には関与しなかった[2]。1947年に小学校を設立してその校長を務めるなど、戦後は教育事業に従事した[2]。退職後は清朝史を研究した[2]。著書に『晩清皇子生活與讀書習武』、『清季王府於飲食醫療偏見』、『醇親王府回憶』などがある[1]

1994年に次兄である愛新覚羅溥傑が死去すると、愛新覚羅氏金氏)の当主となった。

2015年4月10日、96歳で死去。告別式には愛新覚羅一族およそ100名が集まった[3]

子に金毓嶂がいるが彼の子は娘の金鑫(1976年 - )のみであり、女子は当主を継承できないため、当主の継承者は弟の金毓峑(1946年 - )になる。


出典

  1. ^ a b “溥儀弟弟溥任逝世 終年97歳”. 明報. (2015年4月12日 星期日). https://news.mingpao.com/ins/溥儀弟弟溥任逝世%20終年97歲/web_tc/article/20150412/s00004/1428811885008 2018年1月6日閲覧。
  2. ^ a b c d “愛新覚羅溥任氏が死去 「ラストエンペラー」溥儀の末弟”. ハフィントン・ポスト. (2015年4月11日). https://www.huffingtonpost.jp/2015/04/10/aisin-gioro-puren_n_7044532.html 2018年1月6日閲覧。
  3. ^ “「末代皇弟」溥任辭世 低調簡樸過一生”. 風傳媒. (2015年4月17日). http://www.storm.mg/article/46609 2018年1月6日閲覧。