文久
文久 (ぶんきゅう、旧仮名遣: ぶんきう、旧字体: 文󠄁久)は、日本の元号の一つ。万延の後、元治の前。大化以降225番目、241個目の元号。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。
改元
なお、前回の万延改元の時に最終的に絞られた2つのうち最後に外されたのが「文久」であった[1]。
出典
『後漢書』謝該伝の「文武並用、成長久之計」より。
文久年間の出来事
元年
2年
- 1月: 幕府老中の安藤信正が襲撃される坂下門外の変が起こる。
- 2月: 皇女和宮と第14代将軍徳川家茂の婚礼。
- 2月: 大野佐吉が浅草瓦町(現在の台東区浅草橋)で鮒佐を創業。醤油で煮る現在の佃煮の形を創り上げる。
- 4月: 薩摩藩の島津久光が上京する。徳川慶喜が将軍後見職に就任する(文久の改革)。
- 5月: ロンドン覚書を締結する。
- 8月: 生麦事件
3年
- 3月: 将軍徳川家茂が上洛する。
- 同: 『青砥稿花紅彩画』(歌舞伎作品。白浪五人男、弁天娘女男白浪とも)河竹黙阿弥の代表作の一つ。江戸市村座で初演。
- 5月: 長州藩が下関で外国艦隊に砲撃を行う。姉小路公知暗殺(朔平門外の変)。
- 7月: 薩英戦争
- 8月: 天誅組の変。京都で八月十八日の政変が起こる。横浜の山手にイギリス軍、フランス軍が駐屯開始(英仏横浜駐屯軍)
- 9月: 井土ヶ谷事件
- 10月: 生野の変
誕生
死去
西暦との対照表
※は小の月を示す。
文久元年(辛酉) | 一月※ | 二月 | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月※ | 十二月 | |
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グレゴリオ暦 | 1861/2/10 | 3/11 | 4/10 | 5/10 | 6/8 | 7/8 | 8/6 | 9/5 | 10/4 | 11/3 | 12/2 | 12/31 | |
ユリウス暦 | 1861/1/29 | 2/27 | 3/29 | 4/28 | 5/27 | 6/26 | 7/25 | 8/24 | 9/22 | 10/22 | 11/20 | 12/19 | |
文久二年(壬戌) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 閏八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ |
グレゴリオ暦 | 1862/1/30 | 3/1 | 3/30 | 4/29 | 5/29 | 6/27 | 7/27 | 8/25 | 9/24 | 10/23 | 11/22 | 12/21 | 1863/1/20 |
ユリウス暦 | 1862/1/18 | 2/17 | 3/18 | 4/17 | 5/17 | 6/15 | 7/15 | 8/13 | 9/12 | 10/11 | 11/10 | 12/9 | 1863/1/8 |
文久三年(癸亥) | 一月※ | 二月 | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1863/2/18 | 3/19 | 4/18 | 5/18 | 6/16 | 7/16 | 8/14 | 9/13 | 10/13 | 11/11 | 12/11 | 1864/1/9 | |
ユリウス暦 | 1863/2/6 | 3/7 | 4/6 | 5/6 | 6/4 | 7/4 | 8/2 | 9/1 | 10/1 | 10/30 | 11/29 | 12/28 | |
文久四年(甲子) | 一月※ | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
グレゴリオ暦 | 1864/2/8 | 3/8 | 4/6 | 5/6 | 6/4 | 7/4 | 8/2 | 9/1 | 10/1 | 10/31 | 11/29 | 12/29 | |
ユリウス暦 | 1864/1/27 | 2/25 | 3/25 | 4/24 | 5/23 | 6/22 | 7/21 | 8/20 | 9/19 | 10/19 | 11/17 | 12/17 |
関連項目
脚注
- ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P284-286