柳生宗在 柳生 宗在(やぎゅう むねあり、承応3年(1654年) - 元禄2年4月13日(1689年5月31日))は、大和柳生藩の第4代藩主。 第3代藩主・柳生宗冬の次男。母は京極高通の娘。正室は五条為庸の娘。子に九鬼隆久(長男)。官位は従五位下、対馬守。 延宝3年(1675年)兄の宗春が早世したため、同年閏4月6日に世子となる。同年9月に父が死去したため、同年11月26日に家督を継いだ。日光祭礼奉行、剣術指南役、日光山法会の火番などを務めた。元禄2年(1689年)4月13日、36歳で死去し、跡を養嗣子の俊方(兄・宗春の長男)が継いだ。 芳徳寺境内にある柳生一族の墓所。中央が宗在の墓 法号は寂光院。墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺と奈良県奈良市柳生町の芳徳寺。 柳生氏柳生藩4代藩主 (1675年 - 1689年) 柳生宗矩1636-1646 柳生三厳1646-1650 柳生宗冬1668-1675 柳生宗在1675-1689 柳生俊方1689-1730 柳生俊平1730-1742 柳生俊峯1742-1763 柳生俊則1763-1807 柳生俊豊1807-1820 柳生俊章1820-1849 柳生俊能1849-1850 柳生俊順1850-1862 柳生俊益1862-1871 廃藩置県