磯野秋雄

いその あきお
磯野 秋雄
磯野 秋雄
限りなき鋪道』(1934年)
本名
生年月日 1910年10月20日
没年月日 1986年1月21日(75歳没)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市鶴見区
死没地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市戸塚区
職業 子役
俳優
ジャンル 新派
軽演劇
劇映画
テレビ映画
活動期間 1917年 - 1980年代
配偶者 磯野志津
主な作品
『与太者シリーズ』
『嵐の中の処女』
君と別れて
隣の八重ちゃん
男性対女性
君の名は 第2部・第3部

磯野 秋雄(いその あきお、1910年明治43年〉10月20日 - 1986年昭和61年〉1月21日)は、日本の元子役俳優。本名同じ。戦前は三井秀男(後の三井弘次)、阿部正三郎らと「与太者(よたもの)トリオ」の一人として活躍し、戦後テレビドラマを中心に脇役として活躍した。

来歴・人物

1910年10月20日神奈川県横浜市鶴見区に生まれる。実家は新聞販売業を営んでいたが、後に東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)へ移り、私立の「美以美(みいみ)尋常高等小学校1923年9月1日関東大震災で焼失)」を卒業[4]

1917年、7歳の時に花柳章太郎の門下となり、子役として本郷座で初舞台し、松竹合名会社経営の各劇場に出演した。1921年、たまたま松竹キネマ研究所牛原虚彦監督映画『山暮るゝ』で初出演したことから、以後、新派劇と交互に出演。しかし1925年9月松竹蒲田撮影所の専属俳優となり、以後、多数の作品に出演。中でも三井秀男、阿部正三郎との「与太者トリオ」が評判となり、1931年野村浩将監督映画『令嬢と与太者』以下シリーズとなる。また、1932年島津保次郎監督映画『嵐の中の処女』の好演が多数の批評家の賞賛を得た。

1943年、同撮影所を退社。劇団笑の王国に入団して再び舞台に立ち1944年応召されるが、1946年復員。戦後も松竹を中心に脇役として出演するが、1960年代後半からテレビドラマのみ出演するようになり、1980年代前半まで活躍した。

1986年1月21日午前8時18分、肺癌のため、神奈川県横浜市戸塚区の大船共済病院で死去した。満75歳没。

出演歴

その他出演あり

脚注

  1. ^ 『日本映画人名事典 男優篇 上巻』キネマ旬報社、1996年、132頁。
  2. ^ 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、44頁。
  3. ^ 正業を持たないならず者。やくざ者。役に立たない愚か者。うすのろ。
  4. ^ 1923年3月に尋常小学校卒業

外部リンク