神鞭知常
神鞭 知常(こうむち ともつね、嘉永元年8月4日(1848年9月1日) - 明治38年(1905年)6月21日)は明治時代の官僚、衆議院議員(第1回総選挙で京都府から当選、以後当選7回)。文官高等試験委員長、臨時政務調査委員、法制局長官などもつとめた。大日本協会、国民同盟会、対露同志会などの組織結成に参加した。
経歴
- 嘉永元年(1848年)に鞭重蔵の長男として京都府の与謝野町石川に生まれる。京都に出て漢学、蘭学、英学を学ぶ。神社に奉仕をしていた縁で、姓に神の字を入れて神鞭と改名する。幕末に聡明さを買われ、宮津藩主に抜擢され江戸に出る。
- 明治2年(1869年)2月に神宮司別当、同年8月に宣教科となる。
- 明治3年(1870年)1月に権大属となる。同年7月に辞職した。
- 明治6年(1873年)に大蔵省を経て、翌年の明治7年(1874年)にアメリカ合衆国に出張。明治9年(1876年)3月~翌年の明治10年(1877年)まで、フィラデルフィア博覧会御用掛をつとめる。その間の明治9年の5月に内務省勤務となる。
- 明治12年(1879年)に再び大蔵省勤務となる。ともに、商務局勤務となる。
- 明治14年(1881年)に横浜正金銀行管理掛、同年4月に農商務権少書記官、8月に大蔵少書記官、同月から12月まで再び、農商務権少書記官、10月に書記局兼議案局勤務となる。
- 明治15年(1882年)9月に参事院員外議官補となる。
- 明治17年(1884年)2月に租税局、同年6月に主税局本部勤務となる。
- 明治23年(1890年)~明治27年(1894年)まで衆議院議員をつとめる。
- 明治29年(1896年)~明治30年(1897年)10月までに内閣法制局長官兼内閣恩給局長をつとめた。
- 明治31年(1898年)7月~同年11月までは法制局長官だった。
- 明治31年8月~明治35年(1902年)8月までと、明治36年(1903年)3月~明治38年(1905年)6月まで再び衆議院議員をつとめた。同月21日に死去。
栄典
親族
脚注
関連項目
公職 | ||
---|---|---|
先代: 末松謙澄 梅謙次郎 |
![]() 第5代:1896 - 1897 第7代:1898 |
次代: 梅謙次郎 平田東助 |